1970年代のインフレが1980年代のバブルを生みだした?
「インフレの記憶」と「デフレの刷り込み」日本人の経済心理はどのように形成されたのか
戦後から1970年代へはインフレが「当たり前」だった
戦後の日本経済は、焼け野原からの急成長とともに、慢性的なインフレが国民生活を覆っていました。
そもそも、戦後の東京を中心とした都市全体で物資が不足しており、建築等の復興需要も強いため経済成長に伴うインフレが継続的に続いていました。
1950年代から高度経済成長期を通じて、物価はほぼ毎年上昇。
賃金もそれに合わせて上がり、「来年は物価が上がるから、今年のうちに買っておこう」という意識が社会全体に根づきました。
住宅もこのままいくと値上がるから若いうちに買っておこうという思想がこのころに根付き始め、住宅ローンの登場と相まって不動産購入者も増え続けました。
▪ 物価上昇の常態化
- 1955年頃の消費者物価指数(CPI)を100とすると、1970年にはおよそ240。簡単にいえば1955年に100万円だった物が1970年には240万円無いと買えない。それくらい、15年で物価が上がっていました。
- 年平均で5%前後の物価上昇が続き、生活実感として「お金の価値は目減りする」が常識でした。そのため、現金で持つよりも不動産や家財にお金を使う人が増えました。
- 家電、自動車、住宅など耐久消費財が急速に普及する中で、値上がりを見越して先に買う消費行動が経済を支えました。
そして、1970年代に入ると、この「物価上昇」がオイルショックの発生により、一気にヒートアップします。
二度のオイルショック――“インフレ恐慌”の時代
▪ 第一次オイルショック(1973年)
中東戦争の影響による原油価格の急騰で、日本の輸入コストが一気に上昇しました。原油価格は約4倍に跳ね上がり、物価も連鎖的に上昇しました。
1974年の消費者物価上昇率は前年比23.2%。戦後最大の物価高により、トイレットペーパーや洗剤の買い占めが起こり、「インフレ恐慌」と呼ばれる社会現象が生まれました。
消費需要は大きく落ち込み、決して景気が良くないにも関わらず、物価だけが上昇し続ける日々は現在のインフレよりも深刻な状況でした。
▪ 第二次オイルショック(1979年)
イラン革命を背景に再び原油価格が高騰し、政府・日銀は公定歩合を引き上げ、インフレを抑えるための金融引き締めを実施しました。
結果的にはこの政策が寄与し、インフレは1973年よりは抑制されましたが、この1970年代のインフレが、企業も家計も「価格は上がるもの」という思考回路を刷り込ませる大きな要因となりました。
インフレが“常態的な期待心理”として経済に根付いてしまったのです。
国内の企業物価指数で表すとわかりやすく
国内企業物価指数<令和2(2020)年平均=100とする>
1960年 48.0
1970年 54.7
1980年 109.6
出典:日本銀行
https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/history/j12.htm
簡単にいうなれば、国内企業が提供する商品の価格が1980年には既に2020年を超える物価に到達していたと言う事です。
1960年から1970年の10年の間には少しずつ48.0から54.7のインフレですから、約6ポイント上昇したのに対して、1970年から1980年の10年は2倍近くまで物価が上がっています。
国内企業物価指数<令和2(2020)年平均=100とする>
2020年 100.0
2024年 122.6
出典:日本銀行
https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/history/j12.htm
物価高と言われるコロナ渦以降でも、2024年時点ではまだ22%程度の上昇です。1970年代の物価上昇がいかに極端であったかがわかります。
1980年代後半―値上がり意識がもたらしたバブル
1970年代のインフレを経た日本人は、「土地も株も物価も、放っておけば上がる」という心理を深く刷り込まれました。そして1980年代後半、その記憶がバブル経済という錯覚した繁栄を生み出します。
▪ 金融緩和と資産価格の急騰
- プラザ合意後の円高対策として金利を下げ、資金が不動産・株式市場に流入。
- 日経平均株価は1985年の1万3000円台から、1989年末には3万8915円まで上昇。
- 東京23区の地価は1989年末に1985年比で約3倍、商業地ではそれ以上の高騰。
経済ニュースは「地価上昇率○%」を誇らしげに報じ、土地を所有していれば資産が膨張する―そんな“値上がり信仰”が国民意識を支配しました。
▪ インフレの成功体験が、バブルへの無警戒を招いた
1970年代のインフレ期を生きた世代にとって、物価上昇はある程度当たり前であり、1970年代に10年で2倍の物価になった経験を持つ者にとっては、1985年から1989年に3倍になった土地価格も、どこか「インフレの延長線上の出来事」と信じていました。
むしろ、1970年代のように早く不動産を買わないと、もっと値上がりをして損をしてしまう。そんな信仰的な価値観もあったと思われます。つまり、どこか、「価格上昇=経済成長」「値上がり=豊かさ」の図式が染みついていたのです。
そのため、1980年代後半の急騰も「異常」とは感じにくかったのです。結果論として、バブル崩壊後に「あれはバブルだった」と言って反省としていますが、当事者としてその時代に生きていた人は「1970年代のインフレの延長」だったのです。
結果、“物価が上がり続けるような幻想”が社会全体に共有されてしまった。インフレの成功体験が、バブルのマヒを招いたのです。
ただし、経済学的にはインフレになる要因は一切なく、円高対策としての資金が株や資金に流れこんでいただけだったのです。
1990年代―デフレが刷り込まれた「失われた30年」
1991年、バブルが崩壊しました。株価も地価も急落し、企業は巨額の不良債権を抱え、銀行は融資を絞り、経済は長期停滞に入ります。
国内企業物価指数<令和2(2020)年平均=100とする>
1991年 105.7
1995年 100.5
2000年 96.6
2005年 94.3
2010年 97.1
2015年 99.7
2020年 100.0
出典:日本銀行
https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/history/j12.htm
物価で見ると1991年から30年にもわたってほとんど物価が上がりません。それどころか、物価が下がるデフレが起き続けます。
1980年代後半から1990年代に生まれた人は、生まれてから一度も物価が上がる記憶が無いまま成人になり、社会に出たわけです。
▪ 1990年代:バブル後の痛みと“節約の時代”
- 日経平均は1990年初頭の3万8000円から、2003年には8,000円台まで下落しました。
- 都市部の地価は10年で半分以下になりました。
- 消費者物価もほぼ横ばい、あるいはマイナス圏に突入する年も何年もありました。国民は「物価は上がらずにむしろ下がるもの」「給料も上がらないのが当たり前」という1980年代とは真逆の経済感覚を身に着けます。
この頃の日本人に刷り込まれたのは、「物価や土地は値上がりしないもの」という価値観でした。むしろ、より効率化された低コストなサービスが喜ばれる時代になりました。
それらのサービスがより一層デフレ経済の長期化へとつながるのです。
▪ 2000年代:低成長と“価格競争社会”
デフレが長期化する中で、企業はコスト削減と低価格競争へとシフトしました。100円ショップ、ファストファッション、牛丼チェーンなどが拡大し、「安く買うこと」そのものが社会的評価となりました。
企業はオペレーションや調達を見直し徹底的なコスト削減の基に、安くて品質の良い商品を多数送り出します。結果として日本は「安くて良いモノがたくさんある安い国」になっていくのです。
価格が下がることが喜ばれ、物価や給料が上がり続けるものといった1980年代の“上昇マインド”は完全に失われたのです。
▪ 2010年代:失われた30年の定着
- 不動産・株価・物価のいずれも、上昇局面はあっても一時的なものでした。短期的な上昇の後にまたすぐに落ち着くため投資熱も上がりませんでした。
- 若い世代は「資産価格は上がらない」「給与は伸びない」という前提で人生設計を組み、不動産も持ち家よりも賃貸派が多数を占める状況でした。
- “安定こそ正義”という心理が社会全体に根づき、就職先も公務員人気が高く、採用試験の倍率も10倍以上を超えるのは当たり前で熾烈なものでした。
バブルを経験した世代は「上がること」を信じていた世代、デフレ世代は「上がらないこと」を信じていた世代ですが、時間の経過とともに、日本全体が「上がらないこと」を信じる国民へと変わっていきました。
2020年代―インフレに思考が追いつかない
2020年代に入り、コロナ禍、ウクライナとロシアの戦争、等によりサプライチェーンの混乱、円安、エネルギー価格の高騰を背景に、日本にも再びインフレが戻ってきました。
しかし、長くデフレを生きてきた世代にとっては、すぐに終わるであろう一時的なインフレと最初は多くの人が信じていました。
インフレの背景は物資不足による実需によるインフレが主だったものです。それはウクライナの戦争要因だけではなく、コロナ渦の回復経済によるものも含まれます。
今回のインフレは日本だけのものではなく、世界規模で起こっている現象です。したがって、短期的で収まる見込みはあまりなく、中長期的に続く事が予想されています。
ですが、日本人にとっては、「値上がり=危険」「給料が上がらないのに物価だけ上がる」という感覚が強く、経済の上昇局面に思考が追いついていないのが実情です。
- 物価上昇を「一時的」と見誤り、事業における調達や、個人での不動産購入等を先送りしてしまい、より高いコストで買う事になる。
- 株や不動産の上昇を「バブル」と断定して距離を置いてしまい、資産形成のチャンスを逃してしまう。
- インフレを「不安」としてしか認識できないため、株式投資等の上昇局面におけるポジティブなアクションになかなか移せない。
つまり、1970年代の日本人が「インフレを前提に行動した」のとは真逆で、現代の日本人は上昇を信じられない経済心理”に支配されているのです。
経済は循環する。価値観もまた更新される
ただし、このインフレもいずれは終わります。経済は、常に波のように動くものです。
株価も土地も、上がり続けることはなく、下がり続けることもありません。
それでも、多くの人は「自分が生きた時代の常識」を普遍だと錯覚してしまうのです。
- 1970年代の世代は、「上がることが当然」だと信じた。
- 1990年代以降の世代は、「上がらないことが当然」だと信じた。
しかし、経済は循環します。インフレもデフレも、永遠には続きません。だからこそ、私たちは“時代の記憶”を超えて経済を判断する力を持たなければならないのではないでしょうか。
過去を振り返ることは、未来を予測することでもあります。
自分の経験だけに頼るのではなく、歴史的な文脈を踏まえて、今を冷静に観察する。それこそが、変化する経済の中で生き抜くための最良のリテラシーです。

